第12回 子どもに「ママは?」と聞かれるたびに胸が痛む

別居中の父親として考えていること

別居中の子どもから「ママは?」「寂しい」と言われるたびに悩み、面会やビデオ通話を続けながら家族の形を考えている父親の記録です。

子どもにママはと聞かれて悩む父親と子どもの父と子の道中記第12回のサムネイル

子どもから、ときどき「ママは?」と聞かれる。

「ママがいなくて寂しい」と続く日もある。その言葉を聞くたびに、胸が痛くなる。

今の生活は本当に子どものためになっているのか。夫婦の判断で、子どもに寂しさを背負わせているのではないか。答えの出ないことを何度も考える。

私たち夫婦は別居し、離婚に向けて話し合っている。価値観の違いだけではなく、お互いの家族事情や、けが、病気など、いくつもの出来事が重なった。

以前ほど険悪な雰囲気ではない。ただ、二人とも夫婦としてやり直すことは難しいと考えている。

短い言葉で、今のことだけを伝える

大人同士なら、別居までの経緯を言葉にできる。しかし、幼い子どもに夫婦の事情をすべて説明することはできない。

子どもは、今は私と暮らし、母親は別の家にいることまでは分かっているように見える。なぜ一緒に住めないのか、これからどうなるのかまで理解しているかは分からない。

聞かれたときは、母親を悪く言わず、今のことだけを短く伝えている。

「今はパパとママは別々に暮らしているよ」

「ママもパパも、あなたのことを大切に思っているよ」

また三人で暮らせると期待させる言い方はしたくない。一方で、子どもの希望を強く打ち消すこともしたくない。

その間で言葉を選んでいるが、この伝え方でよいのかは今も分からない。

母親との時間は残している

現在は、面会やビデオ通話の時間を定期的に作っている。保育園の行事にも、可能な範囲で母親に出席してもらっている。

画面に母親の顔が映ると、子どもはうれしそうにする。保育園の行事に両親がそろうと、安心したように見えることもある。

その姿を見ると、子どもと母親の関係はこれからも残したいと思う。同時に、こうした時間を「また一緒に暮らせる」と受け取っていないか気にもなる。

面会やビデオ通話は、夫婦が復縁するためではなく、子どもと母親の関係を続けるためのものだ。その違いを幼い子どもへどう伝えるかは難しい。

「寂しい」と言われると、決心が揺れる

子どもが寂しいと言うと、復縁したほうがよいのではないかと考える瞬間がある。

三人で暮らせば、子どもはもう「ママは?」と聞かなくて済むかもしれない。しかし、解決できていない問題を残したまま戻れば、家庭の空気が再び悪くなるかもしれない。

両親が同じ家にいることと、子どもが安心して暮らせることは、私の中では同じではなくなった。罪悪感だけで戻り、また生活を変えることになれば、子どもをもう一度振り回すことになる。

それでも、今の曖昧な状態を長く続けてよいとも言い切れない。夫婦として戻る予定はないのに、離婚の話は進行中で、家族の形はまだ決まっていない。

大人にとっての保留期間が、子どもには「いつか戻るかもしれない時間」になっているのかもしれない。

寂しいと言える場所だけは残したい

今の私には、復縁、離婚、子どもへの伝え方のどれにも完全な答えがない。

ただ、子どもが「ママに会いたい」「寂しい」と言ったときに、その言葉を止めないことはできる。

「寂しいよね」

「ママに会いたいよね」

私が責められているように感じる日でも、まずはそう返す。父親と母親の事情は、子どもの責任ではないからだ。

家族の形が決まっていなくても、子どもが寂しいと言える場所はなくしたくない。その気持ちを受け止めたあと、次に何を決めるべきかはまだ見えていない。

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シリーズの流れ

第1~5回:生活を回す工夫第6~11回:働き方と子育ての限界第12~18回:家族の形と子どもの気持ち第19回以降:休職と生活の見直し

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