第1回 父と子の道中記を始めます
沖縄で二人暮らしを続けるための記録
沖縄で父子二人暮らしを続けるために、住む場所、移動手段、家電、家族への頼り方を見直した記録の始まりです。

休職前の平日、私は朝に子どもを保育園へ送り、そのまま会社へ向かっていた。
仕事を終えたら迎えに行き、夕食、お風呂、洗濯、翌日の準備をする。それで一日が終わった。
本業はシステムエンジニアで、当時はフルタイムで働いていた。沖縄で子どもと二人で暮らしながら、仕事、子育て、家事を同時に回していた。
一つひとつは特別な作業ではない。それでも、どこか一つが予定どおりに進まないだけで、夜までの流れが崩れた。
子どもが急に熱を出すこともあった。仕事が長引く日も、疲れて料理をする気力が残っていない日もあった。
このサイトでは、制度上の呼び方ではなく、生活実態を「父子二人暮らし」と表現している。
私は、何でも一人でできる父親ではなかった
私は、仕事も子育ても家事も、何でも一人でこなせる父親ではなかった。
毎日きちんと料理を作れない日があった。洗濯物を丁寧に畳まない日もあった。
雨が強い日や仕事が長引く日には、実家の両親へ子どもの迎えを頼んだ。一人では対応できないことがあると認めなければ、当時の生活は続かなかった。
両親に頼り、家電に任せ、住む場所や移動手段を変えた。できないことを減らすのではなく、私が抱える作業を減らしていた。
それを、何でも一人でこなしてきたように書くことには違和感がある。実際には、次の迎えや夕食の時間が来るたび、私は誰かや道具の力を借りていた。
住む場所と移動手段を変えた
父子二人暮らしを続けるため、最初に住む場所を見直した。
実家、保育園、会社への距離を考え、誰か一人に移動の負担が偏りすぎない場所へ引っ越した。家賃は以前より上がった。
通勤手段も変えた。
沖縄では車での移動が中心だが、朝夕は道路が混雑する。子どもを保育園へ送ったあと、渋滞の影響を受けにくい自転車で会社へ向かうようにした。
住居費や移動手段だけを個別に考えたのではない。子どもの送迎と仕事を同じ一日の中で続けられるかを基準にしていた。
家事は家電に任せた
帰宅後に残っている時間と体力は少なかった。
そこで、乾燥機、食洗機、お掃除ロボット、オーブンレンジ、圧力調理器を使った。費用はかかったが、洗濯、食器洗い、掃除、調理の一部を家電に任せられた。
家電があっても、家事がなくなるわけではない。それでも、私が手を動かし続けなければ何も進まない状態からは離れられた。
両親に頼るための線を決めた
私だけで対応できないときには、実家の両親へ子どもの迎えや預かりを頼んだ。
ただ、家族だからいつでも頼めるとは考えなかった。両親にも生活と予定がある。
通常の迎えをお願いする場合は、できるだけ早めに連絡した。発熱などの緊急時は例外だが、それでも分かった時点で相談した。
預かってもらう負担に対しては、保育料という形でお金も渡した。家族の協力をお金だけで表せるとは思っていないが、頼ることを当然にしないための線引きだった。
工夫しても残った限界
住む場所を変え、移動を見直し、家電と両親の力を借りても、すべてが楽になったわけではない。
家事を効率化しても、仕事が多すぎれば余裕は生まれなかった。出張や休日出勤が続けば、子どもにも両親にも負担がかかった。
実際に役立った家具や家電、日用品について書くときも、便利だったことだけではなく、なぜ必要になったのか、何が減り、何が残ったのかを書いておきたい。
当時の暮らしが続いたのは、私が何でも一人でできたからではなかった。
何でも一人でできないことは、今も変わらない。この記録では、うまく回った工夫だけでなく、助けを借りても残った負担まで書いていきたい。
Series
シリーズの流れ
Related
近いテーマの記事

父と子の道中記・第18回
第18回 子どものわがままより、自分が甘やかしてしまう問題|おもちゃを買いすぎる父親が考えたこと
父子二人暮らしでおもちゃを買う機会が増え、子どもに不自由をさせたくない気持ちと、私の基準のなさを見つめ直した記録です。

Comments
この道中について意見を聞かせてください
同じような状況を経験した方の意見や工夫を募集しています。
お子さま、ご家族、勤務先などを特定できる情報は書き込まないでください。
コメントは内容を確認後に公開します。
コメント利用ルール
- 実名、住所、学校名、病院名を書かない
- 家族や第三者への誹謗中傷を書かない
- 医療・法律上の判断を断定しない
- 連絡先やSNSアカウントを書かない
- 内容によっては公開しない場合がある
コメント利用規約